自分が寝坊してしまったせいで、一日空いてしまったので、徒然草を読んでみた。
さすがに古典なので、ネットで読める。
個人的に興味が惹かれたものを抜粋。
第131段
貧しき者は、財(たから)をもッて礼とし、老いたる者は、力をもッて礼とす。 己が分を知りて、及ばざる時は速かに止(や)むを、智といふべし。
許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして強ひて励むは、己れが誤りなり。貧しくて分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く。
意訳:
貧しい人ほど金銭を礼とし、老人ほど力をつかって礼儀を守ろうとする。
身の程をわきまえて、自分の力量が及ばない時は、さっさと止めるのが知恵だ。
身の程をわきまえて生きようとしているのを、許さない奴らは馬鹿だ。
身の程を知らないと、貧しい人は盗みを働いて金銭を稼ぎ、老人は体力が無くなっているのに力を頑張って使えば病気になるでしょうに。
仕事とか(に限らんが)で人と話すときに、ついつい自分が置かれている境遇ややってきた事、嗜好などを前提に話してしまう。自分にとっては、大した事無くてもその人にとっては大事という事がままある(逆も然り)。
本当に、その人を見て分かった上で発言しないと、単に自分の価値観を押し付ける周囲の「許さない奴ら」と同等になってしまうなー、と。
第150段
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。
うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀(そし)り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜(たしな)む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫(みだ)りにせずして、年を送れば、堪能(かんのう)の嗜まざらんよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双(ならび)なき名を得る事なり。
天下のものの上手といへども、始めは、不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。
されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埓(はうらつ)せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。
意訳:
能を習う人が、人前での失敗を恐れて、こっそり練習して上手く出来るようになったら発表しようと考えても、そんな奴は一芸を習い得る事はできない。
未熟なうちから、その道の名人に交わり、けなされ、嘲笑されても挫けずに練習していけば、才能があるが練習しない奴より、品格も備わり、やがて世間から一流と評価されるだろう。
今でこそ名人と言われる人達だって、最初は下手で恥をかいたこともある。そんな人が、その道の決まり事を守り、我流に流されず名人になり、多くの人たちを教える立場についているのだ。
これは、どんな芸事でも同じことだ。
今年から、去年までの仕事とはうってかわって別の領域の仕事をしている。
少々の知識は持っているとはいえ、何分始めてやる事。
失敗は勿論のこと、毎週上司から何かしらの指摘(お叱り?)のメールが飛んでくる事も多い。それでも、自意識を捨てどんどん人前に出て、恥をかき、学んでいく事が、より良いエンジニアになるための唯一の道なんだろう。
第189段
今日はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ先づ出で来て紛れ暮し、待つ人は障りありて、頼めぬ人は来たり。
頼みたる方の事は違ひて、思ひ寄らぬ道ばかりは叶ひぬ。
煩はしかりつる事はことなくて、易かるべき事はいと心苦し。
日々に過ぎ行くさま、予(かね)て思ひつるには似ず。一年(ひととせ)の中もかくの如し。 一生の間もしかなり。
予てのあらまし、皆違ひ行くかと思ふに、おのづから、違はぬ事もあれば、いよいよ、物は定め難し。
不定(ふぢやう)と心得ぬるのみ、実(まこと)にて違はず。
意訳:
あれをやろうと思ってたら、他の急な用事ができて一日が過ぎ、待っている人は来れなくなるのに、来ないと思っていた人が来た。
期待することは上手くいかず、思いがけない事だけ上手くいく。
かといって、前もって予定していた事が、全て上手くいかないかと言うと、時には上手くいく事もあるので、ますます予定通りにいかせることは難しい。
予定通りにいくこともあれば、いかないこともあることだけが、確かな事であるのは間違いない。
世の中、なかなか予定通りにはいかないよっと。
寝坊しちゃうかもしれないしね・・・(ToT;

